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[科+] 【歴史学】〈本能寺の変「トンデモ黒幕説」の真贋〉イエズス会が信長を暗殺? 本能寺の変、3つの黒幕説のウソ、ホント

 
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〈本能寺の変「トンデモ黒幕説」の真贋〉 日本史最大のミステリーと言われる本能寺の変には、朝廷や室町将軍が黒幕だったという説のほかに、 いくつもの黒幕説が提起されている。本願寺教如が首謀者だったという説やイエズス会が暗殺に関与したという説などだが、 これらはどれほど信憑性があるのか。徹底検証した。 渡邊大門(歴史学者)  本能寺の変に関しては、朝廷や室町将軍が黒幕だったという説のほかに、いくつもの黒幕説が提起されている。 それらの説を確認しておこう。  本願寺教如(きょうにょ)が本能寺の変の首謀者であった、という説がある。 大坂本願寺は、長らく織田信長と抗争を繰り広げたことで知られている。 天正8(1580)年閏(うるう)3月、正親町天皇の仲介により、両者は和睦を結んだ。 大坂本願寺の顕如(けんにょ)は無念の思いを抱きつつ、紀州の鷺森別院へと向かった。  教如は顕如の長男であり、信長との徹底抗戦を主張していた。親子は路線が対立してしまい、顕如は教如と親子の縁を切った。 したがって、「信長憎し」の思いを持つ教如ならば、立派な黒幕の候補と言えるのかもしれない。 〈黒幕説の概要は、以下の通りである。〉  丹羽長秀の率いる織田軍は、紀州雑賀の顕如を攻撃しようとしていた。 その一報は、播磨英賀(あが)にいた教如のもとにもたらされたという。 縁を切ったとはいえ、2人は親子であり、教如は居ても立ってもいられなかったかもしれない。  一方、正親町天皇は本願寺の滅亡を阻止するため、教如の意向に基づき、光秀に信長討伐を命じた。 吉田兼和(兼見)と近衛前久(さきひさ)の2人が仲介役となり、教如、正親町、光秀の間を取り持ったという。 教如は朝廷を動かすことにより、光秀に信長を討たせたということになろう。  織田軍が顕如を攻撃することを示した『大谷本願寺由緒通鑑』は、基本的な誤りが多い俗書と評価されており、 そのほかの関連史料の解釈も全般的に誤っている。したがって、根本となる史料の問題があり、 この時点で教如の黒幕説は成り立ちにくい。  また、本能寺の変の直前、教如が備中高松城にいた秀吉に対し、光秀謀反の情報をリークしたという。 事前に光秀の謀反を秀吉に知らせることにより、毛利氏との講和を促し、 上洛(じょうらく)しやすい状態に持ち込んだということになろう。 続きはソースで オピニオンサイトiRONNA http://ironna.jp/article/8251


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Originally posted 2017-11-27 01:05:55.

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